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about something too important to be taken seriously

ワーナー・ビショフ写真展

世界的写真家たちのグループ、マグナムフォトに所属していたスイス人写真家ワーナービショフ。いまトリノの王宮にあるギャラリーではこのマグナムフォトに所属する写真家の展示が続いていて、ブレッソンとキャパの次がこのビショフの展示だった。すごく気に入ったので2日連続して行ってきた。

この写真展がいいなあと思ったのは、彼の写真には彼自身の内面が濃く反映されていて、良い意味で中立でなく、時を追って見ていくと彼自身の変化が見て取れて、親しいだれかの旅を追いかけているような気持ちになったからだった。日本を愛した彼の作品のどこかに何か共感できるものを見出したのもあるかもしれない。

彼は39歳という若さで亡くなっていて写真家として活動した期間はおよそ10年しかない。初めは画家を目指していたが写真家に転身し初期はアトリエでアート作品を撮っていた。

しかし、スイスという中立国にいながらも第二次世界大戦で大きな破壊(物理的にも社会的にも)を感じ取り、外に出て自分の目で見ようとヨーロッパをまわって打撃を受けた街や人々の写真を撮り始める。彼の目線は破壊によって傷ついた街や人にとくに向けられている。


(ドイツ;破壊された街を見る男性)

(ハンガリー;赤十字によってスイスへ輸送されて行く孤児たち)

そしてマグナムフォトと契約して報道写真家としてインドへ。
インドで彼はヨーロッパとはちがう価値観、文化、行政が機能せず人々が路上で飢えて死んでいく姿を目にし非常に衝撃を受ける。このあたりから彼の写真が芸術作品としてのフレームに収まるものから生の人間に迫り、目の前にあるものにどんどん接近して、痛みや喪失というよりも今ここにある現実を意思をもって社会に訴えかけるものに変化していくのが見える。

(インド;母子)


続いて日本へ。彼は日本をとても気に入り、その自然と一体化した暮らしや美術に感銘を受けてイタリア人の妻を呼んで夫婦で1年近く滞在した。インドと比べると戦後とはいえ寛いだ空気が写真に漂っているなあと思った。また日本の美術から刺激を受けて取り入れようとしているのではないかなと感じる写真もあった。

(日本;京都)


その後、韓国、中国、そして当時の仏領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)を彼は報道写真家としてまわっているのだが、精神的に疲れてきてしまい、ついにスイスに帰って個展を開いたりしてしばらく休養している。けれど、しばらくしてまた世界を見たくなって今度は北米、それから南米に渡り、ペルーで交通事故に遭ってこの世を去った。
豊かな自然の中で人々が暮らす南米はビショフに日本を思い出させたそうだ。日本の後まわった国々ではときに凄惨な場面や貧しさを痛みをもって写しているのが伝わってくる。またアメリカでは消費社会そのものといった写真、スピードの速いNYという街を写しだしたものが多く、スイスで生まれ育った彼が日本を気に入り、ペルーでもう一度寛ぎを見出したのは容易に想像ができるなあと思った。彼の最後の作品のひとつでおそらく一番有名なのがこのペルーで撮った少年の写真。


(以上写真はぜんぶマグナムフォトhttp://www.magnumphotos.comから)


彼の前に見たロバートキャパの写真展では、戦場を撮る時も人物を撮る時もその写真を見る第三者の視点を意識してキャッチーなものを撮ろうとしている感じがした。はっきりとしたわかりやすさ、客観性を重視した、そこに映るもの以上でも以下でもない、自らを出来るだけ排除した中立的な写真。それに対しビショフはもともと画家を目指していたのもあり、たとえ報道写真でも自分の表現、自分の中の芸術性を排除しようとしない。だからこそまとまって見たときに彼自身の思いが伝わってきて胸を打たれた。それにしても10年の間にこれだけの国をまわっていろんな文化の中で暮らし、記録し、心を痛めたり疲れたり感動したりするのはなんて濃い時間なんだろう。もちろんこれは彼のすべての人生ではないけれど、それでもひとりの人間が旅をして心を動かして生きていく様を一通り見たような気がして、写真を見るというよりは彼が通っていった人生を見たような気持ちになった。またしばらく間をあけてもう一回くらいは行こうかな。