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パッパーノ指揮 聖チェチーリア管弦楽団コンサート

MITO Settembre Musicaという音楽祭が9月にはあって、ミラノとトリノのいろんな場所でいろんなジャンルの音楽が聴ける。
その一貫でわたしたち夫婦の好きなROHの音楽監督サーアントニオパッパーノがミラノにコンサートに来ることを知ってチケットを取った。この音楽祭はチケットがすっごーく安くて、日本円で言うと1000円もしない料金から席が取れる。音楽を誰でも楽しめるよい催し。

パッパーノはROH以外にもローマの聖チェチーリア管弦楽団の音楽監督をしていて、ミラノには彼らと来た。
プログラムはドヴォルザークのチェロ協奏曲と、ベートーベンの交響曲第五番「運命」という派手な構成。

場所はスカラではなくTeatro degli Arcimboldi.
以前カナダのサーカスCirque Eloiseの公演で来た。そのときは客層も家族連れや若者が多くてカジュアルだったけれど、この日はやっぱり年配の人が多くてでもオペラほど決めた服装の人ばかりではなく、カジュアルな人たちと盛装の人と半々という感じ。席は満席で、外で当日券を狙う人たちもたくさん来ていた。

クラシックのコンサートに来るのはおそらく3年くらい前、札幌のキタラホールで札響のコンサートを聴きに行って以来な気がする。だいぶ久しぶり。なので舞台上にオーケストラ用の椅子や指揮台が並んでいるのを見て、おおおーそうだよね今日はオーケストラピットじゃないよね!と新鮮に見えた。


パッパーノの両親はイタリア人で、育ったのはイギリスとアメリカ。英語とイタリア語で喋ってるのを聴いたことがあるけど、イタリア語はそこまで流暢ではない。でも英語で話してても身振り手振りにイタリア人らしさがあって、話してるの聞くのがすごく楽しい。
パッパーノが好きなのはもともと彼のオペラ解説番組をいくつか見てファンになったので、彼が指揮するオペラは映像で観てるものの生で指揮をしているところを見たことがなかった。はたして現れた生パッパーノは小柄でぷくっとしていて少し猫背で白髪混じりの髪はくしゃっとしていて、映像より小さくてかわいい!

チェロ協奏曲のチェリストはイタリア人のマリオブルネッロ。
彼の弾くチェロはよく乾いた落ち葉みたいな音。あたたかくてカラッとしてて、ひなたで野外で聴いてるみたい。アンコールで二曲弾いたんだけど二曲目でブルースを弾いててそれがとくにすごく合っていた。なんかとても現代的というかあっさりしていて、ねっとり感ゼロ。

木管のソロがオーボエじゃなくてフルートになってて、バイオリンソロも熱く細く奏でるタイプの人で、チェロの太陽の光を感じさせるからっとした音と合わさると、オケの中からたくさんピチピチいろんな鳥が鳴いてるみたいで、秋の光の中で外で聴いてるみたいだった。
チェロがとにかくバイオリンみたいにすごく歌うけど、オーケストラもそれぞれがわりと好き勝手に歌うし、ひとつの音を作るというよりみんなで演奏合戦してるみたい。

イタリアのオーケストラはどこで聞いてもいつも、まとまりがない印象を受ける。ひどいときは序盤明らかにやる気がなかったりまだ目が覚めてない感じだったりするし、音は外れるしパートがバラバラなのはよくあるし、ほんとうにチームプレイが苦手な人たちだ。

そしてこの聖チェチーリア管弦楽団(イタリア最古の名門コンサート専門オーケストラらしい)は、そのまとまりのなさが一番いい方向に働いた感じのするオーケストラで、イタリアで求められるオーケストラっていうのは結局この路線なのか、という結論に達した。いろんな人のソロパートが多いチェロ協奏曲だったのが功を奏したのかもしれない。各自が全力で「俺が俺が」と前のめりになっていて、まとまりはないんだけどエネルギーにあふれていて、やる気にあふれていて、明るくてキラキラしていて、目立つタイプの生徒が多い教室という感じ。まばゆさはすごかった。

そんなチェロ協奏曲が終わった瞬間、客席は大喝采。
ぜんぜん拍手が鳴り止まなくてチェリストのブルネッロはアンコールを二曲弾き、何度も何度も出てきてはお辞儀をして、パッパーノも何度も引っ込んでは出てきて、もうコンサート終わりのようなすごい喝采だった。


が。
この喝采に一抹の不安がよぎる。
わたしたちにはひとつ懸念事項があったのだ。
ミラノからトリノへ帰る最終電車の時刻、23:18。
今回のコンサートは21時開演。プログラムは2曲だけだし全楽章合わせてもどっちも40分弱なので順当に行けば間に合うはずと踏んでいたのだけれど、この大喝采ぶり…気前のよいアンコール… 危ない。

そもそも21時開演のものがイタリアで21時に開演するわけはなく、始まったのも15分か20分くらいあとだった。
あまりに何度もうれしそうに出てくるブルネッロに、もういいよ!もうそろそろいいよ!!と念じるわたし。がんがん時間が過ぎて行く…!
そして休憩。


2曲目、ベートーベンの交響曲第五番「運命」
この曲を全楽章通して生で聴くのは初めてですごく楽しみにしていた。ジャジャジャジャーン!ていう第一楽章しかたぶん知らない。

で、
聖チェチーリア管弦楽団とパッパーノが奏でる音にわたしはびっくりしてしまった。こんな華やかであたたかな曲だったのー!?ぜんぜんイメージと違う!やわらかくあたたかくキラキラとまぶしくてこの世の悩みや苦しみなど何一つ知らない!という感じの曲…
第一楽章からもう「この世界ってなんて素晴らしいんだろうね!」って全員があふれる笑顔で言ってるのが見える。
ありなのか。これはありなのか。

(公演後、夫は「こんなカラフルで悲壮感のない運命は初めて…」と言って帰ったら別のバージョンを聴かせるから!と強調していた。聴いて二度びっくりした。ぜんぜんちがうし!笑)


とにかくオーケストラがノリノリで楽しさ全開で、パートパートがみんな個性的な人ばかり集まっててなにやってもなんとなく目立つクラスみたいになってて、それを嫌味じゃなく明るさ全開でやってるからこっちまであたたかく明るい気持ちになり、ついブラボー!って言いたくなる(実際、ブラボー&ブラーヴィの嵐だった)
イタリア人のオーケストラを聴いていてまとまりがないなり好きだな!と思ったのは初めてだったし、もうこれはイタリア人がオーケストラに求める音はこういうことなんだろうたぶん、とわかった気持ちになった。

やっぱりわたしは日本人なんだなあ。
土台がしっかりしている上で、その人、そのときにしかない色や熱や温もりがのっかっているのがいい。
土台は危ういけど熱だけはすごい!とか漲るパワーで全てを覆い尽くす!というタイプは、いいときはいいし楽しめはするけど好みではない。

いつも聴いてるオペラのオーケストラではなく、コンサートのためのオーケストラを聴いて、もうこういうもんだな!と心底思った。しかしけして嫌いにはなれないところがイタリアとイタリア人のすごいところで愛すべきところで、勝てないなあと思うところ。


パッパーノはオペラのため以外のオーケストラの指揮者に就任したのはこのオーケストラが初めてだそうだ。
小さい頃から父親に歌のスパルタ特訓を受け、元々はコレペティトールとしてキャリアを積んできた彼がオペラではなく初めて純粋に音楽だけと向き合うのは聖チェチーリア管弦楽団が初めてで、しかし彼らとはとても深いところで自分と共通するところがあり、演奏をするうちに自分の中のイタリア人の血をたしかに感じた、とインタビューで語っているのをあとから読んだ。
彼は徹頭徹尾オペラの人だったんだなあ。

この事実にものすごく納得したのは、この日すべてを聴き終わったときに抱いた1番の感想が「この人はオーケストラだけでなく、やっぱりオペラが聴きたいな」というものだったから。

逆に、前回ドゥダメルの振る「リゴレット」を聴いたあとには「この人はオペラでなくてオーケストラ単品で聴きたいなあ!」とすごく思って、なるほどドゥダメルはコレペティの経験がなくオーケストラを振る指揮者としてキャリアを積んできただけに、きっとだいぶ勝手が違うんだなあと、それはわたしにすらわかるほど音に出るんだなあと、おもしろく思った。

運命の後のアンコールは2曲。ヴェルディとロッシーニ。とくにロッシーニがすばらしくてこの夜でいちばんパッパーノがイキイキして見えた。
そして喝采はまた一曲目のように鳴り止まず、アンコール2曲を終えてもだれも帰る気配がなくて、とうとうパッパーノが両手を合わせて顔に当てて「もう寝る時間」というジェスチャーをしてお開きになった。


そしてわたしたちは結局終電を逃したのだけど、でもコンサート自体はわたしはとっても楽しめたのだった。
けど次はぜったいオペラがいいな!