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about something too important to be taken seriously

ミュージカル「チョコレート工場の秘密」(ロンドン)★★★★★

「ロンドン旅行のはじまり」(http://d.hatena.ne.jp/utopie/20130529/1369823049)でも書いたようにわたしにはこの物語に対して並々ならぬ愛があるので、まずはこれがミュージカルになる、というだけで胸いっぱいだった。
二本の映画を見て失望した過去があるのであまり期待しすぎないように気をつけながらも、本で読んだあの物語がどんな風に現れるのかと思うといやがおうにも期待は高まって、幕が上がるまですごく楽しい気持ちで待った。子供連れの家族がいっぱいで会場の雰囲気もすごくいい。


以下、かなり内容ネタバレなので知りたくない方は注意。


幕が上がり、廃れた雰囲気の灰色の風景があらわれる。ゴミ捨て場の廃品の山から使えそうなもの興味を引くものを探すチャーリー。物語の主人公チャーリーの一家はとても貧しい。
一幕はほぼこのごみ捨て場とチャーリーの家のセットの中で進むのだけど、後半カラフルなチョコレート工場の中に入るまでひたすら暗い灰色のトーンで統一されたセットなのがチャーリーと家族の状況を効果的にあらわしていてよかった。廃品の中から使えるものを寄せ集めた家のセットはとても手が込んでいて、二階席目の前まで積み上がったアルミ質の道具がひとつひとつ違うもので出来ていて(ヤカンとか本とか…)丁寧な作り。

主人公チャーリーは何よりもチョコレートが好きなのだけど貧しいチャーリーの家ではチョコレートを買うことができない。だからチャーリーはごみ捨て場や路上で世界一のチョコレートメーカー、ウォンカチョコレートの包装紙を拾ってはコレクションしている。舞台では出てこなかったけど、チャーリーは通学でウォンカチョコレート工場の前を通るとき、胸いっぱい限界までチョコレートの香りを吸いこんであじわったりする。チョコレートを買えないチャーリーにとって、お菓子屋さんの窓は憧れ、ましてチョコレートを作るチョコレート工場、それも世界一とうたわれるチョコレート工場が自分の町にあるというのはなんとも胸が踊り、またなにより切ないことでもあった。

ウォンカチョコレートのウォンカ氏は魔法使いのように驚くような仕掛けの、しかも最高においしいお菓子を作り出す人物。しかし彼の人物像は謎に包まれている。工場では昔はふつうに労働者が働いていたのだけれど、他のチョコレートメーカーが潜ませるスパイによる情報流出があまりにひどくなり、一時は閉鎖、従業員は全員解雇され、再開してからも十年以上そのまま門を開かず、人間不信に陥ったウォンカ氏も二度と姿を見せないままだった。それをおじいちゃんのグランパジョーがチャーリーに説明するシーンでは古いシーツを物干しに干すシーンのあと、プロジェクションでシーツに影を写し出してチャーリーが手元でマッチ棒のようなものを使って人影を表現するんだけど、下手するとしょぼくなりそうなこの仕掛けがとっても自然で見事なバランスだった。個人的にいくつかの舞台で似た演出を見たことがあるけど、これはここで影絵を使うことに必然性も感じるし、今まで見た中で一番うまく使っているなと思った。

グランパジョーを含む、チャーリーのおじいさんおばあさんたち4人。家に一つしかないベッドに一日中身を寄せ合って寝ている設定のこの人たちがわたしはあまり好きでないキャラクターだったんだけど、今回の舞台で演じた4人があまりにチャーミングで一気に大好きになってしまった!ベッドから出ない設定なのでベッドが(どうも手元で本人たちがレバー操作してるみたいに見えたんだけど)4つに分かれて縦横無尽に舞台上を動き回ってダンスするというまさかの演出!また4人がそれを楽しそうにやること!会場も大ウケだった。
こんなにいいキャラに仕上がるなんて!


ある日、新聞一面に驚きのニュースが載る。世界に5枚だけウォンカチョコレートの中に金のチケットが隠された。これを見つけた子どもたちは閉ざされた工場の中に入ることを許され、一生分のお菓子をプレゼントされるという。チャーリーの一家もこの記事にみんなで驚き、興奮する。チャーリーは毎年一年に一度のお誕生日にだけ、一枚チョコレートを買ってもらえる。ちょうどもうすぐチャーリーのお誕生日だった。もしかしたら、ほとんどないけどもしかしたら希望があるかもしれない、チャーリーは思う。

しばらくしてテレビニュースで金のチケットを手に入れた子どもの情報が入るようになる。チャーリーの家は家族総出で人力発電機や拾ってきたアンテナやブラウン管テレビを組み合わせてなんとかテレビのニュースを見ようとする。このみんなでテレビを映そうとするシーン可愛かった!お父さんが毎回ひたすら発電用の自転車を漕いでてすごいキツそう!!笑

このテレビ画面、チャーリーたちが見ている小さなブラウン管テレビとは別に、映ってる中身が舞台の二階部分に設置された超巨大な箱のセットで表現される。始めはセット全体にスクリーンがかかっていてそこにアナウンサーが映し出されニュースを読むよくある感じのニュース映像。で、現場からのリポートになったとたんスクリーンが上がり箱の中で実際に演者たちが生身で演じるという演出。このテレビ画面のセットの高さがちょうど二階席部分に近くて、高い席から見ている人への配慮にもなっててイイ!!

チケットを手に入れたのは食いしん坊のアウグスタス、わがままお嬢様のヴェルーカ、有名人の娘でチューインガムの世界記録を持つヴァイオレット、テレビが大好きなマイク、毎回チケットを手にいれた子どもが現れるたび、このテレビセットが出現する。スクリーンが上がると子どもたちはそれぞれ様々なジャンルに分かれた、自己紹介とチケットを見つけた経緯を織り交ぜたナンバーを歌って踊る。これがぜんぶすっごいよかった!!
民族衣装を着てソーセージを首からかけた太っちょのアウグスタスは同じく太っちょのお父さんお母さんと「ヨロレイヒー」っていう民族調のナンバーを歌う。ピンク色のチュチュをつけたヴェルーカはお金持ちの社長のお父さんとバレエの振り付けが取り入れられたクラシック調を歌い踊り、アフリカ系の子演じるヴァイオレットはキラキラの紫のスウェットを着て有名人のお父さん(サタデーナイトフィーバーみたいな紫のサングラスとスーツ)やSPやマネージャーたちとキレッキレのダンスナンバー。黒髪のマイクは動くたび舞台いっぱいにゲーム画面が広がりゲーム調の効果音が混ざるテクノ。この子はダンスコンテストに出ていたところをスカウトされたらしくパワームーブの技をやっていた。
子役たちの歌とダンスがどれもこれも見事で、1人ずつが主役みたい。とくにヴァイオレット役のインディアちゃんのキレッキレのダンス…かっこいい!!ロンドンでミュージカルを観ると毎回ほんとうにこれだけ才能を持った子供がまずいること、それを生かす環境があること、その層の厚さに感動する。

そして金のチケットを最後に手にするチャーリー。チャーリーがお誕生日にもらったチョコレートバーの中にはチケットが入っていなかったんだけど、偶然手に入った二枚目のチョコレートバーの中にそれを見つける。チケットを見つけたあと家に帰って家族が大喜びするシーンは原作では長年歩かなかったグランパジョーが喜びのあまりベッドから立ち上がってタップダンスをするんだけど、この舞台ではおじいちゃんおばあちゃん全員が立ち上がって家族みんなで踊りまくるシーンになっていた。これはこれでいい。
でもチャーリーがひとりで金のチケットを見つけるシーンはわりとあっさりしすぎていたような気がする。ここに関しては旧作映画「夢のチョコレート工場」の殺伐とした感じが好きかも…

ここまでで第一幕がおわり。
一幕では他にチャーリーの両親が眠ったチャーリーに愛を語りかける"If your mother were here"っていうデュエットの場面があって、二人のチャーリーへの愛だけでなくお父さんとお母さんのお互いへの愛も表現された歌詞と演じている二人の母性や父性を結晶化したような理想的なあたたかい声に涙がすーっと落ちてきた。あまりにメロディーが美しくて。あまりに声に愛があふれていて。

ここまでですべてが期待以上、プレビュー公演だからなのか演者たちがものすごい全力投球でエネルギーにあふれててしばらく何も手につかないんじゃないかという興奮だった。


休憩。
すごくいいね!と夫と言い合う。


二幕。
子どもたちとその保護者、取材陣がチョコレート工場の門が開き、ダグラスホッジ演じるウォンカ氏が姿をあらわすのを待つ。


まず二幕はこのウォンカ氏の登場シーンでものすごく感激した。
よろよろのお爺さんのように見える灰色の影がドアから現れ二三歩歩いたあとパッと光が当たってカラフルな衣装があらわれる。紫のペンギンコート、オレンジのベスト、水色のネクタイに黄緑の細身のパンツ。この舞台はイリュージョン担当のデザイナーが関わっているのでたぶんイリュージョンを使ってるんだと思うんだけど、鉄の門扉に暗い背景の中に一瞬でカラフルなウォンカ氏が現れてそれがすっっっごくわたしが子どもの頃にイメージしたそのもので、ああーこの服!この色!そうそうこれ!ウォンカ氏こういう感じ!!って思った。
わたしはティムバートン版のあの馬鹿げたウォンカ氏の登場シーンにかなり腹が立っていたので、シンプルでうつくしく魔法のようなこの登場シーンにはほんとうに拍手を贈りたい。

ウォンカ氏の案内でチョコレート工場を見学する子供たちとその保護者。
工場内の移動は背景にプロジェクションで横向きや奥に動く映像が映しだされ、演者たちはその場で全員で駆け足したり、エレベーター内ではブルブルみんなで縦揺れして動いている様子を表現していた。これは見てる方もアトラクションに乗ってるみたいで楽しかった!ディズニーランドのスターツアーズみたいな感じ。でも酔いやすい人はもしかすると嫌かもしれない。

一同がまず案内されたのはすべてがチョコレートで出来たチョコレートルーム。旧作映画「夢のチョコレート工場」の世界をうつくしく作り直したようなセットで舞台中央には流れているように見せたチョコレートの滝がたて向きに設置され、舞台後方まで色とりどりのチョコレートのお花と芝生で広く埋め尽くされていてきれい!
ここでウォンカ氏が歌ったりヴェルーカのお父さんが収益について質問したりするあいだ、子どもたちはめいめい好きなところに行ってチョコレートで出来た木や草を食べているんだけど、スポットライトを浴びているわけではなく観客の目線がいっていないはずのこの場面でこの子どもたちの演技が一分の隙もなくそれぞれに役柄に合った動きを徹底していて思わずオペラグラスでそれぞれの動きを追ってしまった。何を食べるかどんな姿勢で食べるかどのくらいの量を食べるかすごく考えられている。細かい!!!すごく細かく的確な演技!!

物語ではここでまず食いしん坊のアウグスタスが立ち入り禁止だと言われたチョコレートの滝に身を乗り出して落ち、5人の中から脱落する。落ちたあと下から上にパイプで吸い込まれていく様子がたて向きの透明なパイプの中をたぶんワイヤーで吊り上げる形で実現してたんだろうけどわりとリアルだった。舞台であそこまでやるってすごい。

次に4人になった子どもたちはあたらしいお菓子を開発する発明ルームへ。ここで開発途中の「口に入れて噛むだけでフルコースディナーを味わえるガム」をガム好きなヴァイオレットが忠告を聞かずに口にし、最後のプディングの手前、ブルーベリーパイの部分で身体が青くなって膨らんでいき脱落する。この膨らんでまんまるく巨大化したヴァイオレット、巨大ミラーボールになって舞台上部で輝くっていう演出なんだけどアフリカ系の子でノリノリのダンスナンバーがテーマなのでそこにすごくハマってておもしろかった。すっごい上手いのでわかってても脱落がさみしい。

バレエのチュチュを着たヴェルーカは良いナッツと悪いナッツを仕分けるよう訓練されたリスたちがいるナッツルームでそのリスを欲しがり、特別に訓練されたリスなので危険だと言われながも勝手にリスたちのいる場所へ降り、触ろうとしてリスに悪いナッツと判断され脱落。リスはバレエくるみ割り人形のネズミばりに巨大なぬいぐるみが大量に現れてバレエ的な振り付けでダンスしながら消えていく。これで残った子どもはチャーリーとマイク。


テレビが好きなマイクは次に案内されたTVルームでテレビの向こうで観ている人に物を輸送できる装置に興味を示す。装置は開発途中で届けるまでに縮小してしまうことからテレビ画面に送るために巨大なチョコレートが用意されていてそれを実際にテレビ画面に送って普通サイズになるというデモをウォンカ氏が見せるのだが、マイクは自分が輸送装置に入ってテレビ画面に送られたいと言い出し、勝手に装置に入る。そして小型化して脱落。
毎回子どもが勝手をして脱落するたびにウンパルンパが出てきて歌い踊るのだけれど、ウンパルンパは黒子の人間が人形を動かす仕掛けになっていて、舞台だからこそ出来る演出でとてもかわいくよかった。TVルームの場面では大量のテレビ画面に映った顔と舞台上にあるウンパルンパの足が組み合わさってテクノ系の音で踊るようになっていて、これもともすればありがちな演出だけれどすごくうまく使われていた。個人的にすべてのシーンでいちばんよかったもののひとつ。


そして最後に残ったチャーリーとグランパジョーは何もない部屋に通される。ブランクルーム。舞台上はほんとうに真っ暗で何もない。何もないこの場所でこそアイディアが生まれるのだとウォンカ氏は語り、チャーリーに自分のアイディアが詰まったメモ帳があるテーブルを指し示す。そしてグランパジョーとウォンカ氏が別室で話をするあいだチャーリーはここで待つように言われる。だが待っているあいだけしてアイディア帳の中を見てはいけない。

しかしチャーリーは待っているあいだ誘惑に耐えきれずアイディア帳を開いてしまう。チャーリー自身も家にいるときは絶えずスケッチブックに夢のお菓子を描いているというシーンが一幕であるのだけれどそれとこの場面はリンクする。アイディア帳を開いたチャーリーは自分のアイディアが湧き出してしまいどんどん描いていく。何もない舞台上にプロジェクションでチャーリーの手書きの文字と絵がどんどん広がっていく。

そこへウォンカ氏が入ってくる。そして、チャーリーを「何もないところからアイディアを生みだしてしまう、それが止まらなくなってしまう子どもだ」と言う。「自分と同じだ」と。ウォンカ氏は見た目に比べてじつはずっと老いている。自分のチョコレート工場をとても大切に思っているけれどいつか自分が死ぬ時、この工場をどうしたらいいのか、ルンパランド(という架空の南の島)から救い出し連れ出したウンパルンパたちの面倒はだれが見るのか、悩むようになっていた。だからそれを引き継いでくれる人を、世俗に染まりすぎておらず自分が教育を施せる子どもを後継者として探していたのだ。それが今回金のチケットを出した目的だった。きみにこの工場すべてをプレゼントする、とウォンカ氏が告げる。家族みんなここに引っ越してきて住めばいい。

この場面でウォンカ氏がチャーリーに見せるのが自分の発明したガラスのエレベーター。宇宙まで行けるこのガラスのエレベーターに乗って空へ飛び出すと真っ暗だった舞台上に星が無数に輝き、旧作映画「夢のチョコレート工場」の曲"Pure Imagination"がウォンカ氏によって歌われる。この曲はアメリカのドラマGleeに第2シーズン21話でも使われた名曲。映画では序盤のチョコレートルームのシーンで歌っていたけれど、チャーリーにウォンカ氏が自分の思いを語るこのシーンで使われるのはすっごくいい、むしろこっちの方がぐっとよかった。胸に残るメロディー。きれいなエンディングだった。

Pure imaginationはこんな曲(gleeのキャストによるもの)
http://youtu.be/vx0ijgRZV7g

原作ではウォンカ氏もチャーリーもチャーリーの家族もウンパルンパたちもみんな一緒にチョコレート工場に住むことになり、チャーリーの孤独もウォンカ氏の孤独も解消されるすてきな大団円なのだけど、今回の舞台ではウォンカ氏はチャーリーたちに工場を委ねて去っていくというラストだった。わたしはここはちょっと残念だったかも…
あと、ほんとは最後のガラスのエレベーターに乗ったチャーリーとウォンカ氏はそのまま宇宙に旅立ってしまい、続編「ガラスの大エレベーター"The great glass elevater"」に続くんだけど、舞台ではガラスのエレベーターで宇宙に一瞬行き、戻ってきていた。まあ展開的にそっちの方がいいと思う。すごくきれいでさわやかな終わりだった。
そしてわたしたちはアイスクリームを食べながら感想を話し合いに夜遅くも開いてるハーゲンダッツに向かった。


今回の舞台、期待を持たないようにと心がけていたのがすぱーんと吹き飛ぶ、期待以上の素晴らしい作品になっていた。まだプレビューなのでここからまた変更はあるのかもしれないけれど、わたしにとっては完璧な作品と言っていい。いままで観たどのミュージカルよりも好き!
原作は好きだけれど映画は嫌い、という状態だったわたしにとって原作の世界をだいじにふくらませてくれたこのミュージカルは、ほんとうにほんとうに観てよかったし救われた。子どもの頃自分が思い描いた世界と近い世界が目の前に広がっていたこと、映画を観て自分だけが違うと感じたのかなと思っていたことが払拭されたことは表現しきれないよろこびだった。汚れてしまった子どもの頃大切にしていたおもちゃを知らない人がピカピカにして返してくれたみたいな気持ち。わすれかけていた、あの物語を読んだ時の興奮が、もう一度帰ってきたような夜。

帰ってきてからいくつかのインタビューを読んで、制作した人たちがわたしと似た思い(映画は足りないという思い)をもってこの作品を作ったということを知った。
今回のディレクター、映画「アメリカンビューティー」や「007スカイフォール」を監督したイギリス人サムメンデス。元は舞台業界出身。最近NYからロンドンに帰ってきて、ボンドシリーズの映画監督続投を断り、このミュージカルに集中している。彼はインタビューできっぱり「前作二本の映画ではむかし自分が本を読んだとき感じ取ったウィリーウォンカが描かれていなかった。ジーンワイルダーもジョニーデップもすばらしい演技ではあったが別人物だと感じた」と言っている。
舞台でウィリーウォンカを演じたトニー賞俳優ダグラスホッジもまた、今までの映画には違和感を持っていると語っていて「ウィリーウォンカはデビットボウイやマイケルジャクソンのような天才ゆえの孤独、浮世離れした純粋さを持っている人物」と解釈している。わたしもそう思う!!今までの映画ではジーンワイルダーもジョニーデップもどこかウィリーウォンカをひねくれた意地悪な人物と捉えていたように思う。それはウィリーウォンカの持つ人間不信(デップの場合は加えて幼い頃のトラウマ、これは原作にはない設定)が根拠なのかもしれないけれど、わたしは子どもの頃に原作を読んでウォンカ氏をけして意地悪でゆがんでいる人だとは思わなかった。ある記者のダグラスホッジのウィリーウォンカにはジョニーデップのような明るいクリーピーさがないという批評を読んだけれど、何を言っているのかとわたしは言いたい!!ダグラスホッジ最高だよ!!!!

原作は子ども向けのシンプルな物語なので細かい心理描写などはなく、ウォンカ氏もミステリアスな天才、という設定以上はくわしく人物像が描かれていない。ティムバートン版ではその足りない部分を幼少時代を創作して加えて説得力を出すという試みになったのだろうし、ジーンワイルダーの解釈もだからこそ一面ではあり得るのだけれど、わたしはあの物語を読んで彼を奇妙で孤独を抱えているけれどどこかあたたかさのある人物と感じていた。細かいエピソードでは優しさを垣間見せている。だからこそ映画を観てとてもショックを受けた。
原作者ロアルドダールはどんなに奇妙でときどきブラックな物語を書いても、最終的には子どもたちを楽しませ夢や元気を与えるような読後感にまとめている。その語り口は常に愉快で愛がある。それが、映画では二本とも感じられなかった。正直言って、わたしは悪意を感じた。背景デザインを担当した人も「子どもたちによろこびと夢を与えるあの物語をなぜああも冷たく描く必要があるのか」と映画について語っている。ほんとにそう!物語はもっとウキウキワクワクキラキラした世界だった!

ロアルドダールの物語は50年以上子どもたちに読み継がれている児童文学の名作で、だからこそこの舞台の制作に関わる大人たちも、とくにイギリス人であることもあってか多くが子どもの頃にチョコレート工場の物語を読んだ思い出を持っている。監督サムメンデスは「今の自分の視点ではなく、子どもの頃に読んだ時少年だった自分が感じた感覚を思い出して活かすようにした」という。場所や文化は違えどおなじく子どもの頃にこの物語を宝物のように何度も読んだわたしにとって、この物語に愛を持ち、ロアルドダールと同じイギリスの文化で育った人たちが描き出すチョコレート工場の世界(映画は二本ともアメリカで制作されアメリカ人によって演じられている)が、自分が子どもの頃に読み感じ取った世界ととても近かったことは驚きでもありうれしかった。自分ひとりが勝手に思い込み、メッセージを美化していたわけではなかった!
むかしむかし、毎晩自分の娘たちの寝室でお話を語り、その傍ら他の子どもたちのために本を書いていたダールが、子どもの頃わたしに本の中から語りかけてくれたように、同じ本を読んだ人たちが大人になったわたしにもう一度あのダールの物語を語りかけてくれた。たくさんの人の思いを受け取れる舞台という場所はなんてすてきなんだろう。舞台を好きでよかった。

ただ、正直なところあまり冷静な頭で観られなかったので、ぜひもう一度本公演になってから観に行きたいとおもう。