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about something too important to be taken seriously

GAM(トリノモダンアート美術館)

今日はひと月に一度入場無料になる第一火曜日を利用してGAM(モダンアート美術館)へ。
普段は行かないエリアなので、途中の道もたのしかった。ちょっと桜っぽい木をみつけてひとときお花見っぽい気分になったり…

日本の桜は、ちゃんと見たのが最後いつだったか思い出せない。なんとなくこんな桜もどきで耐えているという事実がさみしい。日本にいる人たちはFBとかインスタグラムに桜の写真を上げすぎなんだよ…!



館内ではテーマごとに分かれた展示がされていて、テーマ内で時代別に並べられている。現在のテーマはinfinity,velocity,ethic,nature,wunderkammerなど。とくに気に入ったのはinfinityで、展示の序文がうつくしかった。

“L’infinito si dice in molti modi. È l’immensità degli spazi celesti,
è l’infinito della serie numerica, quello dell’amore, e ce ne sono ancora molti altri”
(適当に訳してみると、無限という言葉は、宇宙の広大さ、数学的な無限、愛情、その他にもいくつものことを指す。というような意味)

イタリア語はやっぱり頭の中で読んでも響きが音楽的できれいだなあ。フランス語と並びはほとんどいっしょだけれど、より音が純粋で、テンポがよくて、頭の中にあるひとつひとつの言葉のイメージがのびのびとひろがっていく感覚がある。今日は展示と同時に解説文を読むたびイタリア語の構造のうつくしさにも見とれてしまった。芸術について書かれている文は書かれている内容も内容なのでよりいい。


展示物の中では”Right of return(By themselves and of themselves)”というアメリカ人アーティストロビンソンの作品がいちばんよかった。ひとつひとつは形も色もバラバラの一人がけの木の椅子が組み合わせられて大きな円を描き、天井から吊るされている。


http://www.designboom.com/design/keep-your-seat/

個性のちがう椅子ひとつひとつに腰掛ける人をそれぞれ想像すると、ループする椅子に人が生まれて死ぬのをくり返して血をつないでいく生命の連続性が思い浮かぶ。たくさんの椅子が組み合わせられてかなりの大きさになっている円は迫力があるけれど、普段は地面に設置して安定して座るための椅子が見えないピアノ線で吊るされていることで不安定さも感じるし、ずっと眺めていると吊るされた椅子はぐるぐると回転しているようにも見えてきて、宇宙空間に浮かんでくるくるまわっている、地球みたいにも見える。静かだけれど動的で、がっしりと組み合わされて幾何学的にバランスが取れているようで不安定で、バラバラの椅子が組み合わさることで完璧に一体になった形を成していて、きれいなインスタレーション。


Velocityのテーマの中では、Osvaldo Liciniというイタリア人のアーティストの絵が気に入った。パウルクレーに似た幾何学的な抽象画で、のんびりした雰囲気とはっきりした強い色がイタリアの土地の素朴な明るさを感じさせていい!

http://arttattler.com/archiveosvaldolicini.html

幾何学的な模様をきれいな色使いで描いたクレーや、少し趣は変わるけど新印象派のスーラやシニャックの絵はすごく好きなのでこのリチーニもいいなあと思った。現代アートにはわりと苦手意識がもともとあって、よくわかんないなあと思うことが多いのだけど、その中でもこのタイプの抽象画は見ていて不安にならないので好き…!細かいものを削ぎ落として図形にまで純化した中にかろうじて残る自然の美しさ。波の動き、光のゆらぎ、意図して作られた線が描く自然界に存在する数値的な美。もう少し追って見たいと思う画家だった。ミラノにもあるようなのでチェックしたい。好きか嫌いか、家に飾りたいかで考えると断然YESのタイプ。



現代アートって、本質に迫るためにいろんなものや説明を省くので理解は難しいけれど、わかればそのシンプルな問いの普遍さにふるえる。あらためて、クラシックなものよりもよりピュアで直接的だからこそ見て不安にかられやすく、痛みを感じさせて、どきっとさせられやすいんだなあということを思った。
Ethicのテーマは時代や文化の中に存在する倫理によって人がどうリアクションするのか、というようなことが伝わってくるキュレーションだったので、まさにそれを感じさせられて重たかった。痛い現代アートは強いしグロテスクだし直接的なのですごく苦手だーーー。natureもじゃっかん人の営みが自然に与える影響的な作品があったので痛かった。これらのアートは問いの種類が前者とはちがって、美をつきつめているのではなくて、問いのための手段としてアートがあるのかもしれないな。


全体として展示されている量がちょうどよく、それぞれよい構成で、疲れずに最後まで集中して見られて心地よい満足感が得られる展示だった。トリノは市が現代アートに力をいれていてよい展示が多いことと夫が現代アート好きなので前より見る機会が増えたことが幸いして現代アートに対する苦手意識が薄まってきていて、もうこれってほんと場数だなと思ったりする。わたしはわりと眉根を寄せて「これは何を表しているのか」ということを考えやすいんだけど、それ以前にもう少し気楽に、好きか嫌いか、自分はこれを美しいと感じるか、そばに置きたいか、という視点でも見るようにしてみると楽しいというのがわかってきた。ぱっと見好きかを考えるのも楽しいし、背景やメッセージを前提として作品の投げる問いについて考えるのもまた楽しい。どっちも出来るといいな。また行きたい。