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about something too important to be taken seriously

ヴェルディ「椿姫(La traviata)」★★★★☆

観てからだいぶ時間が経ってしまったけど、レッジョで椿姫(ラトラヴィアータ)を観てきた。今までレッジョ劇場で観た中で今回のがいちばんよかった!

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わたしには小学生の頃、童話に出てくるお姫さまのお話の類と勘違いして椿姫を手にし、読んで激烈なショックを受けた過去がある。

青い鳥文庫でも岩波少年文庫でも新潮文庫でも見たことない「椿姫」。岩波文庫に並んでるのを見て知らないお姫さまのお話だ!と思ってわくわく買った。この頃、娼婦という職業について何も知らなかったのと、社会的背景もわからなかったので、ヴィオレッタ(原作ではマルグリット)以外の人たちはものすごい悪意に満ちた人々に見えた。
なぜこの女の人はこんなにも酷い扱いを受けなければいけないのか!病気なのになぜだれもお酒をやめなさいとか言ったり優しくしないのか!とりあえず娼婦ってなに!(その頃持っていた小学館国語辞典には載っていなかったのを覚えている)
そして童話ではぜったいあり得ない、病気になって弱っていき悲惨に死ぬという結末…

しかしこれってある意味ニュートラルな視線で見ていたということにもなり、ヴェルディのオペラ版が椿姫ではなくラトラヴィアータ(道を踏み外した女)とタイトルを付け替えられてヴィオレッタが主役に据えられ、彼女を中心に描くことによって、立場によってこんなにも人を無残に扱ってよいのか、悔い改めても犯した罪は許されないままなのか、罪人は彼女か、と当時の社会に投げかけていた問いと同じような視点かも…と大人になってから思った。子どもの目には娼婦であろうと貴族であろうと関係ない。ぜんぶ同等な人でしかない。ましてやお姫さまだと思って読みはじめたので余計ひどいと思ったし。


それにしても改めて原作と比べてなんとオペラ版の優しく建設的な物語になっていることか。

原作よりもヴィオレッタの側に同情的に寄り添い、社会批判になっているのはやっぱり原作を書いたときデュマフィスはすでにマリーデュプレシ(椿姫のモデル)と別れたあとだった一方でヴェルディはジョゼッピーナ(当時としては椿姫とじゃっかんかぶる社会的立場)との同棲生活が続いていたからなんだろうなとは思うのだけど、その分、アルフレッドのダメさがマイルドになっているし(依然とんでもないダメ男ではあるけど)、原作ではアルフレッドの思い出の中で都合よく語られるに過ぎないヴィオレッタがオペラの中では心を動かし、苦悩を見せ、ときめいたりしあわせな表情をしたり、怒ったり嘆いたりする生身の人間としていきいきと魅力的に、そして涙を誘われるほど孤独で犠牲的で哀しい女性として、主役として描かれていて胸がすく思いがする。

最後のヴィオレッタが死ぬシーンはアルフレッドが最後に訪ねてくるのをヴィオレッタの見た幻という演出に落とし込んでるものが多いけれど、それでも二度とアルフレッドと会うこともなく友人もなく家財道具も差し押さえられた中で悲劇的に死に、死んだあとに勝手に嘆くアルフレッドに思い出話として語られるよりよっぽどいい。少し違うけどラボエームとRENTで変わっているミミのラストシーンを思い出す。


都合のいい存在から、誇りをもって生きた一人の女性に昇華され、今でも最も愛されるオペラのひとつでありつづける椿姫はほんとうにオペラになってよかった!フランス人の手からイタリア人の手に渡ってよかった!(偏見)、と感じられる作品…!子どもの頃のショックも拭ってくれるというもの。


今回の公演では、歌手はヴィオレッタ役のソプラノ、チョーフィとお父さんジェルモン役のバリトン、アライモがとくによかった。

ヴィオレッタ役チョーフィは細くて結核に侵されたヴィオレッタとしてとても説得力がある。最初ちょっと調子悪いのかなと感じたけど二幕から調子あげてった感じがした。演出のせいなのかもしれないけど、どことなくナタリーデセイに似てる。病床のシーンでお父さんジェルモンからの手紙を読んだ後、"E tardi!"(もう遅いのよ!)って言うところでゾクゾクッとした。序盤の享楽に身を委ねる高級娼婦ヴィオレッタよりも、見捨てられやつれて命が尽きようとしている病人ヴィオレッタになってからがとくに上手い。うるうる来た。

歌で一番好きだったのはお父さんジェルモン役アライモの「プロヴァンスの空と土」。
拍手もいちばん多かった気がする。この人はじめて見たけど、すごい巨体!横にも縦にもものすごーーーーく大きい。カーテンコールでチョーフィと並んでるのを改めて見たら、なんか規格外のように大きかった。それだけでも見た目に迫力があるし、声量もすごい。


目的だったロランペリ演出は前評判でセノグラフィーイマイチかもと聞いていて、たしかにしょぼいとは思ったけど、わかりやすい作りでわたしは好きだな。全体を通して舞台上に配置されている四角いブロック(始めは墓石をあらわしていて、適宜白い布で覆ったり、鏡面になったりする)はよく見るような装置で手抜きに見えるなとは思った。階段のように舞台の手前から奥にかけて立体で見せる手法はマノンの方が生きていたように見える。でも何を表しているのかが明確で、コンテンポラリーはまったくよくわかりませんっていうものも多いのでそこはさすがだと思った。

最初のそのしょぼい背景も、フューシャピンクのドレスとの対比でヴィオレッタのこの先の孤独を感じさせて、強烈に印象に残る。冬の空の下、コンクリートに椿が一輪落ちているみたい。ヴィオレッタの必死さ、直視を避けている現実、この先に待ち受ける困難と病、そして寒気が伝わってきそうなほどの孤独。おなじロランペリ演出のマノンでもピンク色のドレスは鮮烈だったけれど、今回もとっても効果的でいい。

二幕、2人が田舎で愛の暮らしを送る場面はわりとわたしの想像通りの世界観で、ファンタジックで好き。
装置替えにだいぶ時間をかけたわりに後ろがそのままなので見ようによってはやはりここも手抜きには見えるけど…なんかクレイアニメの草原の背景みたいな感じもするし、チープといえばチープ。しかし、このしあわせな日々もかりそめでしかなく、ヴィオレッタのあやうい想像と乙女心を示唆しているとしたら的確だと思った。

それにしても、全体通じてやっぱりヴェルディの音楽の凄さ!!なぜあんなに華やかで細やかで胸にくる音が作れるんだろうううーとくにラトラヴィアータは気分が上がる曲が多いから余計中毒性ある。帰ってきてからしばらくどうしても聴きたくなって再生する、ていうのを何回もくり返した。今も書いてたら頭の中を流れだして止まらない。やっぱり名作!!


マリアカラスの歌う"Sempre libera"
http://youtu.be/N1Vof_gHnNs