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about something too important to be taken seriously

RuPaul’s drag race のこと

 

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We're all born naked And the rest is drag (RuPaul)


「この番組を知らなかった頃何をしていたかが思い出せない」と冗談で夫と言い合うくらい大好きなTVショーがこれ。

ファッション、ヘアメイク、アート、ポップカルチャー、ミュージカルシアター、造形技術、プレゼンテーション、ダンス、ウィット、言葉遊び、政治、LGBTQ+や人種などマイノリティに関わる社会問題、そして人間関係、競争下における人間心理、成長譚などなど、好きな要素がとにかくたくさん詰まっていて、それを毎週コンペティションとして楽しめる。

番組はドラァグクイーンという存在をポピュラーにしたRuPaulが自分に続くドラァグスーパースターを探すオーディション番組と位置づけられていて、毎シーズン(一年に一度)十何人の出場者が与えられる課題を元に勝ち抜き戦をして一人ずつ落ちていき、最後に勝者が一人決まるシステムで、今年12年目を迎えている。

課題は二種類あり、歌やダンスや演技、コメディなど様々に与えられるパフォーマンスと、テーマを解釈して衣装を作り、ヘアメイクをし、自分をモデルにしてランウェイを歩くファッションに分かれている。

毎回かなり限られた時間(1、2日が多い)で課題をきちんと理解し、求められていることを解釈して自らの個性をいかしてパフォーマンスしなければならないし、もし訊ねられたら即座にコンセプトを説明しなければならない。かと言って過剰に説明がないと伝わらないものは容赦なくダメ。「なにを表現したいのか」ということが個々に問われていてそれぞれに答えが違い、仕上がりも違うので、何年見ててもずっと面白い。

 

出場者たちは全員ドラァグクイーン(日常生活は男性として暮らすゲイでパフォーマンスで女装する人がマジョリティ。トランス、ノンバイナリーなどの場合もある)で、ゲイであることやドラァグをやっていること、人種や生まれ育った地方、家庭環境の違いから周りに必ずしも理解されず場合によっては爪弾きにされたり、アウトサイダーだと感じてこれまで生きてきた人も多い。逆にその全てが良い方向に働いて家族や周囲から応援されてきた人たちもいる。人と違う自分を受け入れ周囲とどう接するようになったかは人によって違い、誰に対しても疑心暗鬼になったり攻撃的になる人、すべてをユーモアでいなす人、共感しやすい人など、いろんな人がいる。彼らが時間とともにお互いを知り、共感し、対立し、学び合って関係性が出来ていく様子を見るのはすごく面白いし、衣装作りやメイクアップの途中で出場者同士がするお喋りの中にはLGBTQ+を巡る社会問題や人種差別について当事者たち自身が話す個人のストーリーが入っていて、聞いていてとても教育的で、心に残る。

 

わたしはドラァグカルチャーのことをこの番組を通して知っていったので知らないことや理解できていないことがたくさんあると思うんだけど、それでもドラァグとは単に「ゲイ男性が女装してパフォームする」というだけじゃなくて、知れば知るほどもっと深くて普遍的な問いなんだなと思うようになった。
ドラァグは女装かというと、それだけじゃない。女性を真似るわけでもない。世の中にある性別や性的役割を問い直し、からかい、美の定義や規範に中指を突き立てるものでもある。宝塚で女性が女性を過剰演出した娘役を演じるように、ドラァグクイーンは必ずしも女性の姿をするとは限らず、ときにあえてステージ上で男性の姿を見せることもある。なぜなら男性の体を持った人が演出して見せる「男性」もまた所詮は作られた姿であって、冒頭のルポールの言葉の通り、わたしたちはみんな誰もが何物でも何色でもない素の姿で生まれ、徐々に学習して理解して見せ方を覚えて自分という人間を作り上げているからだ。
そのメッセージに共感し、惹かれるのもあると思う。

 

シーズンが12あって出場者もたくさんいるので、出場者同士の関係がどう育つかどんなダイナミズムになるかはそれぞれにだいぶ違う。わたしは、出場者同士が友情で結ばれて協力関係になっているシーズンが好きで、最終的に残る人たちがみんな仲良しになるS6、S9、S12が最も好き。逆に苦手なのは出場者同士が意地悪、険悪になるパターンで、それが最も目につくS5はいちばん苦手…(でもアリッサファン)

個人別では、課題の解釈に知性があって、スタイリッシュなファッションで、正直な性格に見えるクイーンが好きなので、好きな順で5人あげるとしたら
S12のジェイダ
S9のトリニティ
S9のサーシャ
S7のヴァイオレット
S10のミズクラッカー  あたりがとくに好き。

(特別枠でアリッサエドワーズは抜けた人も含めハウスごとみんな好き)

https://youtu.be/W6brfqiKSLw (参考: S10予告)

 


ここから先は今わたしが見直しているS10の話で、主にヴィクセンというクイーンについて書く。多少ネタバレがあるかもしれないのでS10を見ていない人は注意。

現在放送中のオールスターシリーズ(すでに出場経験のあるクイーンたちが出るスピンオフ)S5でわたしはミズクラッカーを応援してるんだけど、彼女の出演したS10は実力者が多く、後半は見てて楽しかったはずなのに不思議と記憶が薄かったので最初から見直している。で、見直してみると記憶が薄かった理由は前半ヴィクセンという特別に好戦的なクイーンを中心に居心地悪くなるほど歪み合いが発生していて、気持ちよく集中して見れず、大部分をそのまま忘れてしまったから。(似た理由でS9も後半になってからが好きなんだけど、やはり前半の印象が薄いのでこれも見直してもいいのかもしれない)

改めて見直してもヴィクセンの攻撃性はすごい。
異常と思えるほど他人の発言を曲解し、細かな発言に過剰に噛みつき、一度噛みついたら執拗に口撃し、折り合うことをしない。
例え相手が歩み寄っても、一度戦いを始めたら相手には一切いい顔をしないと固く決めているかのように心を開かない。
最初に突いたのが例え自分でも、相手が言い返した途端に自分が攻撃されたと思って怒り、何が言い争いの理由なのか相手が何を言おうとしているのかには耳を傾けず、最後には「自分は嫌われている」と言う。
口論は常に個人攻撃で、人格を否定されていると受け止めるので、言い争いになったが最後、和解のチャンスがない。

その態度について、エイジアという別のクイーンが「アングリーブラックウーマンシンドローム」に陥っているのではないかと懸念を示す発言をしていて、これが一見あまりにも自分本位で過剰反応しすぎに見えるヴィクセンの態度を別の目線で見る助けに、また学びになった。単なる個人の性格と思い込む前に、人を見るときには背景も含めてもっと全体像から理解する必要がある。

Angry Black Woman(怒れる黒人女性)というステレオタイプは、「声が大きく、態度が失礼で、頑固で、悪意があり、威圧的」とされる。もちろん必ずしもこうではないのに、最初からこういう先入観をもって黒人女性を見る人が少なからずいる。また、TVや映画などのフィクションにおいて黒人女性のキャラクターは安易にこのような性格設定をされやすい。人種差別が解消されない社会で黒人であることはいまだ間違いなく不利な条件だ。加えて女性であれば尚更その声に公正に耳を傾けない人が増える。この先入観をもって他人を見る人が、例え相手が正しく真っ当なことを言っても耳を傾けないのは容易に想像がつく。また、ヴィクセン自身も言っていたけれど黒人でゲイでしかも女装するとなると生まれた場所によって更なる試練が待っている。

 

Angry Black Woman syndrome(怒れる黒人女性症候群)は、すべてに対して常に苦々しさを感じ、神経を尖らせていて、自分を少しでも悪く言う人、見下してくる人に対して過剰に反撃し、改善は望まず、他人の不幸を願う態度らしい。
エイジアはヴィクセンに「自分とは逆の属性を持つ白人が必要以上に持て囃され過大評価されていると思い込んでいて、他のクイーンを個人として見ず過去に出会った同属性の人を重ねて過剰な恨みを投射して攻撃してしまっているんじゃないか?」と指摘していた。残念ながらヴィクセンがその発言をストレートに受け取ったようには思えなかった。彼女の態度や思い込みは長年様々な事情や学習が蓄積して形成されたもので、おそらく彼女が自分をしっかり守るための盾でもあり、その指摘だけを境に変わるには根が深すぎるんだと思う。

わたしは個人的にヴィクセンのファッションの方向性やスタイルは好きで、自分自身のドラァグに誇りを持っているところも好きだし、とにかく過剰に警戒し過ぎていて必要以上の攻撃をすることでどんどん自分の立場を悪くしているのが残念でたまらなかった。
自分が傷つく前にとにかく他人を早く傷つけて安心したがっているみたいで痛々しかったし、周りの人たちも気の毒だった。

 

スターになるための条件として番組内で最もよく言及されるのはカリスマ、ユニークネス(独自性)、ナーヴ(胆力)、タレント(才能)の4つなのだけど、たまに出てくるのがLikability(好感度)だ。
歴代クイーンの中でも抜群のlikabilityを誇るシャンジェラは、初登場時ヘアメイクも衣装も雑で洗練さがなくパフォーマンスに関しても真摯にやり切るというよりノリでなんとかするいい加減さが目立っていた。4つの条件が揃っているとはとても言えなかった。それを理由に細部まで徹底して真剣に取り組んでる他のクイーンたちの神経には触れていたし最後まで勝ち抜けなかったけれど、今や番組に出た中では圧倒的な人気で最も稼いでいる一人になった。スターの条件としてlikabilityがいかに大きいかを表しているなあと思う。

その点、ヴィクセンは番組に出て勝ち抜くにはこのlikabilityへの目配りがぜんぜん足りなかったように思う。自分以外に様々な才能や性質を持った人たちが集まる中で最も輝き、スーパースターになるにはみんながその人を好きになる要素が何かしら必要なのに、ちょっと何か言っただけでがしがし噛みついてくる相手を人々は積極的に好きになろうとはしないだろう。過去に出演したヴァイオレットのように態度が悪くて自分本位でもその欠点も気にならないほど他者を圧倒する何かがある人もいるけど、それはかなり稀なケースだ(それともそれがあると本人は思ったのかもしれない)

でも、どうしてもどうにも性格が悪いように映る人物がいたとして、それが必ずしも本人だけの責任じゃないっていうことは忘れないようにしたいと思った。この世には個人が負うにはあまりに大きすぎる不条理や不公平があって、全員がそこから逃げれるわけではなく、すっぱいレモンからレモネードを作る知恵や技術や道具が全員に与えられるわけじゃない。