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about something too important to be taken seriously

プッチーニ「ラボエーム」★★★☆☆


わたしが初めて観たオペラのひとつ、ラボエーム。
音楽の授業でフレーニとパバロッティ出演のLDを観て
強く印象に残った。

あらすじはパリのカルチェラタンに住む、
若くて貧しい詩人、画家、音楽家、哲学者の四人の仲間たちが家賃を踏み倒したりカフェ代を元彼女のパトロンにたかったりして気楽に暮らしている。
あるとき貧しく可憐なお針子と詩人が出会って恋に落ち
しかし結核に冒されている彼女はだんだん弱っていき、
若者たちは病や死を前になす術もなくお金もなく、
最終的に悲しく彼女の死を見届ける…みたいな感じ。

物語は書き起こせば単純で大した内容はないし、他の有名作品に比べると聴かせどころ!という感じの名曲はないけれど、わたしはこの作品がだいすき。

たぶんそれは初めて観たオペラなので思い入れがあるのもあるし、出てくる登場人物たちが他のオペラ作品に比べて比較的自分に近く感じることが出来たからかもしれない。登場人物のように貧乏でも芸術家でもないけれど、若さゆえのお気楽さ、熱さ、無力さというのは実体験としてわかるし、ミミの可愛さやマフへの憧れ、ムゼッタの派手派手しく見えて情に厚いところなんかキュンとくるし、物語のベタな展開はベタに泣けて好き。


ちなみにブロードウェイミュージカルRENTはこの作品を下敷きに、NYでアルバイトをしながら夢を追いかけたジョナサンラーソンによって曲も筋も作られた。かなり改変されているとはいえ登場人物や劇中のシーンにはたしかにラボエームの影響が見て取れる。
RENTもまた出てくるすべての曲が様々なジャンルに跨っていながら完成度が高くて、登場人物たちはゲイであったりHIVに感染しているのだけどそれがあくまで人物の設定のひとつに過ぎずそのこと自体を問いたくて物語が描かれているわけじゃないところが素敵だし、全体を通してパワーにあふれている良作品。
幕間のあと出演者たちが一列に並んで歌うSeasons of Loveはおそろしくキャッチーで、歌詞が胸にくる。
→映像(http://youtu.be/wjUgJbjU8N4)
この夏オフブロードウェイでリバイバルしていた公演を観て、ものっすごく打たれた。筋も歌も役者たちにも。
時代や国を超えて、若者の勢いや苦悩や無力さやうつくしさをどちらの作品もほんとうにうまく描いていると思う。

今回ミラノのスカラ座でラボエーム上演、しかも2日間のみ世界的に人気なソプラノのひとり、アンナ・ネトレプコがミミ役で出演すると知って予約開始日の朝パソコンにはりついてチケットを取った。

当日配役は以下の通り


席は予約開始から15〜20分で完売。スカラ座はネットで完売すると窓口では販売されないらしいので人気が予想される演目はシーズンが開ける前に年間契約するか、
予約開始日にがんばるしかない。

今回は焦って操作をミスしてしまい、画面を切り替えた瞬間希望日が全席完売、希望じゃない方の日は席が最後の二つでもはや選択肢がないというあぶない橋だった。
なのであんまりいい席ではなかったのだけど仕方ない。チケットを取れただけでもはや御の字。

夜、仕事の終わった夫と中心地で待ち合わせて電車でミラノへ。この日朝まで開演時間を1時間遅れて勘違いしてた上、電車の到着時間を出発時間とまちがえていて電車に遅れるというしっぱい。。
余裕をもって出たつもりだったのに「もう電車間に合わないよ!」という電話でまちがいに気づく。
結局一本あとの電車で向かってギリギリ間に合った。

前回スカラ座に来たときは目当てだったデセイがキャンセルになってネトレプコが代役で歌うマノンを聴けるはずだったのが彼女もキャンセルになっているので、
舞台に彼女が出て来るまで不安を拭いきれないでいた。
ほんとうに出て来るんだろうか…!
前回は代役の代役がものすごくだめだったのでそういう事態だけは避けたい。スカラ座のチケットは高いし。


スカラ座の最寄り駅は地下鉄のDuomo駅。
荷物を泊まり先に置いてくる予定が狂って重たい荷物を持ったまま地下鉄の階段出口を上がると、目の前にミラノのドゥオーモがひろがった。

パリのOpera駅も階段をのぼって外に出た途端、
正面にバーンと金ぴかのオペラ座があらわれるので
とても好きなのだけど、ミラノのDuomo駅はそれに似て
しかもそれよりさらにスケール莫大なドゥオーモが
正面にババーン!とあらわれて見るたび感激する。
これを見るたびにミラノへ来た!って感じるし、
ミラノでいちばん好きな風景。

何度見てもなんて大きいんだろうー!そしてなんて細かいんだろう!この細かい細工をこんな巨大な建物に散りばめられるほどコツコツ人の手が地道に作ったのだと思うと、その膨大な人の労力や時間の集積に震えてしまう。なんといってもこれは大聖堂なので神様に向けて作られた迫力と荘厳さもものすごい。

トリノのヴィットリオエマヌエーレII通りとは桁違いに巨大なヴィットリオエマヌエーレIIガレリアを通ってスカラ座へ。
席は舞台下手手前から三番目のボックス席前列。
部屋と別に広いクロークルームが付いていて豪華だ。
しかし席はオーケストラピットの真上でやはり下手側が完全に見切れている…でもしょうがない!

幕が上がる前の前奏曲、ここでいつもワクワクが頂点になる。映画を観るときも映画自体が始まる前のロゴが出る瞬間がだいすきなのだけど、オペラでもバレエでもこの前奏曲だいすき!!劇中からちょっとずついいとこ取りでメドレーする感じたまらない!

パルコから身を乗り出して舞台を見つめながらふと気づいた。ミラノのスカラ座は字幕が舞台ではなく座席に付いているタイプの劇場。身を乗り出さないと舞台が見えないんだけど身を乗り出してる手元に字幕スクリーンがあるので、字幕を観ながら舞台を観れない…
バレエなら問題ないけど細かいセリフがわからないのでこれは大問題だった。今度からオペラは一階席じゃないとだめだ。。

そして個人的にこのゼフィレッリ演出版の、舞台上手から射し込む光の表現が好きなので、上手と正面に向き合う位置にある今回のボックス席からはそれが見えなくて残念だった…ほんものの太陽が射しているみたいでほんとうにすてきなのになあ!
それと、スカラ座はやっぱり舞台が狭いのか、
セットがところどころ寸詰まりに見えた。最初のロドルフォの部屋もそうだし、ミミが雪の中ロドルフォを待つ路上も、舞台的。カフェのシーンも前列にテーブルが三卓、上手にバーカウンターのみだった。でも舞台を二段階に使って二階部分に外の路上が表現されているのは、映像を観ているようで不思議な感覚で、いい!

詩人ロドルフォ役のベチャワは繊細でうつくしい声、ロマンティックな演技でうっとり。が、オーケストラの音にところどころ負けて聞こえないのが残念すぎる。
以前別の役で観たときにもおんなじことを思ったけど、
上手いだけに決めどころで声が消えるのがきつい。
聞き惚れてるのに途中から聴こえなくなるのきつい。

お針子ミミ役のネトレプコ、太ったという話は聞いてたし写真も見たことあったけど、目の前に出てきたら想像以上で現実に引き戻された。こんなに太っちゃってるんだ…!太る前のあのスタイル抜群で美人なイメージを引きずっていたので衝撃大きすぎる。
マトリョーシカみたいだ…!
髪型と衣装もそれをさらに強調してる感じがした。
ひっつめお団子で顔の輪郭が完全に出ている上、ふわっと下に行くにつれ広がるドレスはマタニティみたい。
とても結核を患っていて残り3時間弱で死ぬ人には見えない。それでも痩せたらしいけどでも、美人は太っちゃだめとは思わないけど、でもそれでもあともう少しどうにか、どうにかならないのか…!

しかし目を閉じて歌声を聴いている分にはうつくしくて、目の前で出されているというより音楽教室でお手本のレコードを聴かされているみたいというか…まろやかで深い歌声が、場内に響きわたっていく。
オーケストラの音にも大合唱でも負けない声量。耳にひたすら心地いい。il primo sole è mioの部分の盛り上がりはほんとうにうつくしくて涙ぐんだ。
半分は彼女の歌を聴きに行ったのだし、会場もおそらくみんなそんな感じだろうし、満足はした。
Si mi chiamano Mimiは終わっても、今日に至るまで何度も耳に蘇ってくる。

それから、今回はオーケストラピットの真上だったこともあって指揮がとてもよく見えたのだけど、指揮者がとってもノリノリで大きく踊ったり飛び跳ねたりしながら、でもあくまでも音楽は優雅に歌うように最初から最後まできれいで、だれなんだろう!って気になった。
で、調べたらこのイタリア人指揮者ダニエレ・ルスティオーニ、なんと1983年生まれ。若いー!!!
だから最後までノリノリでやりきれるんだ…ほんとうに動きが大きくてパワフルだったけど納得。
今後注目したい。今回の一番の収穫だった。



舞台全体に対しては、やや不完全燃焼。

まずネトレプコの太さに仰天して彼女を観るたび集中力を欠いたのが原因のひとつとはいえ、往年のミレラフレーニだってけして細くはなかったし全く死にそうに見えなかったのに役として成り立ってたことを思うとやっぱりネトレプコの演技力にも問題はあったのではないかという気がする。容姿の問題だけじゃなく、ミミに見えなかった。そして好みの問題なのかもしれないし役があんまり合ってないとかあるのかもしれないけど、ビリビリくるような圧倒される大感動はなくて、ほんとうにきれいな声だなあ。お手本のようだなあ。という印象で、それならオペラで聴く必要ないともおもった。

やっぱりオペラは物語と舞台演出とオーケストラの音楽とそれぞれの役の魂とその掛け合いと歌声、照明と衣装、劇場という装置すべてがかけ合わさって何重にも重なる相乗効果があるから他が連れていけないような別世界に観客を連れて行くのであって、それが溶け合ってないなら意味がないし、歌だけを聴くならリサイタルでいい。
ネトレプコが聴きたいのはもちろんだけど、あくまでスカラ座のラボエームを観に来てるのであって、パリのカルチェラタンで生きている若者たちの姿を目の前に感じたくて来ているのであって、作品で感涙したかったのだけど、そこまでいかなかったのは残念だった。気分を上げれば簡単に泣ける作品なのに…。

でもマルチェロ役のカピタヌッチはいい演技で
最後ミミが死んでいることにいち早く気づいて口を手で覆うところなんかとくにリアリスティックでよかったし、ムゼッタ役のデーンは若くてきれいで明るいオーラで赤い衣装がほんとうにきれいだった。
以前ナタリーデセイが演じたムゼッタが印象強すぎて歌や演技に関してはあまりピンとこなかったのだけれど、でも雰囲気や容姿からいえば彼女の方がよっぽどムゼッタに合っていて、彼女がいると舞台が華やいでいた。


好きになるほど充足させてくれるものが減るというのはどんなものでもそうなのだろうか。目に映るものすべてただ感受して手を叩いていたのに、いつのまにか中途半端に評論家気取りの目線になっているような気がしてこわくなる。
でも、ほんとうにすばらしい舞台は最近ならRENTを観たときのようにそんなものすべて吹っ飛ばして鳥肌総立ちにしてしまうものだ、と思い直した。わたしはそれを期待して、何度でも体験したくて、こうして劇場に来ているんだ。

生で観る舞台の上からしか降って来ない、劇場の座席でしか味わえない極上の幸福感、身体中ビリビリなるあの圧倒的な興奮。それを一度知ってしまったらとてもとても抜け出られない。
これがだめでも次はすごいかもしれない、
次がだめでもその次はきっと…
そうやって、もっともっと観たい気持ちは高まりつづける。それはとてもしあわせなことだ。