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about something too important to be taken seriously

世界中で一番好きなこと

‘What I like best in the whole world is Me and Piglet going to see You, and You saying “What about a little something?” and Me saying, “Well, I shouldn’t mind a little something, should you, Piglet,” and it being a hummy sort of day outside, and birds singing.’


A.A.ミルンの「プー横丁に立った家」の最後の章に出てくるこの部分はプーさんが何をするのが世界中でいちばん好きかクリストファー・ロビンに聞かれて答える部分で、よく思い出す。今日は17連休の最後の日曜で、外は雨が降っていて開けた窓からすーっと冷たい風が入ってくる。

 

わたしが世界中でいちばん好きなのは静かな場所にひとりで座って世界の音を聞くことで、子ども時代の光景でいちばんくり返し思い出すのは逗子にあった祖母の家の庭でひとり芝生に座って、トンビの声を聞いたりバッタが跳ねるのを見たり芝生を撫でたり草木の匂いを嗅いでいたときのことと、学校でいちばん安心できる場所だった保健室のベッドに横たわって白いカーテンと天井を眺めながら外の校庭から遠く聞こえるピッていう笛の音を聞いていたこと。これまで行ったどの場所を思い出しても、そうやってただ静かにしてると聞こえてくるいろんな音にじーっと耳を傾けていたときの光景を必ず思い出せる。さらにそこにタオルとお茶と本があったらもっといい。わたしにとっての世界中でいちばん好きなことはその組み合わせだなあと思う。

晴れてる日なら、人のいない、草の匂いのする芝生にお茶を詰めた水筒と本を持って座って、お茶を飲んだり本を読んだり、鳥の鳴く声や木や草が風に吹かれてる音を聞く。雨の日なら家の中でタオル地の上に転がって、お茶を飲んだり、本を読んだり、窓の外から聞こえる鳥の声や雨音や遠くを通る車のタイヤが濡れた道路を走ってる音を聞く。

 

今日で休みが終わってしまうのが残念すぎてなかなか現実として受け止めがたいんだけど、雨の降る今日、どこにも行かず静かに鳥の声や雨音を聞いて、冷たい風を感じて、ミントのお茶を飲んで過ごせたから、いちばんいい休日かもしれない。

そしてこの上さらにお菓子を焼いたらもっと最高の休日なので、今日こそはスコーンを焼くぞ。

 

 

愛の不時着

3日に1回書けたらいいかなと思ってたnote、これで5つめなのでギリギリ。書く習慣をつけないと本当に書けないなあ。それと、何も書いてなかったのはひたすら韓国ドラマを見てたせいもある。一日中見てた。少し前にTwitterで「愛の不時着」っていうドラマがとにかくいいって言ってるのを目にしてて、下記の記事を読んで俄然気になってしまった。性別役割分担に疑問を呈するもの、好き。

 

「大ヒット韓国ドラマ『愛の不時着』のヒーロー・ヒロイン像が新しい(治部 れんげ)」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71290


危機に際していわゆる「男らしさ」に基づく強さを発揮し大切な人を守るだけでなく、日常生活の中で相手を思いやるところが魅力だ。このドラマのヒーローは敵を倒すだけでなく、固定的な性別役割分担をひっくり返してみせてくれる。

で見終わった結果、この記事にあった彼の「ケア労働がすごい」っていうすごさが本当にてんこ盛りのすごさだった。アロマキャンドルが欲しいって言われて普通のロウソクとの差もわからなかったのにちゃんと覚えてて灯して現れるのもすごいし、手に入りにくいコーヒー豆を手に入れてきて窯で炒ってる時点でさらにすごいと思ってたけど、後半になったらそんなのは序の口だったと思い知るケア。これでもかこれでもかこれでもかと積み重なるケアアンドケア。夫と二人で見てたんだけどケア男子なうちの夫もリジョンヒョク氏に感動していた。

 

あと後半めちゃくちゃ号泣演技が続いてたけど、男性があんなにも涙を流しまくる姿をわたしは初めて見た。海外ドラマで激情をあらわすのにイケメンマッチョが号泣したりするとこ、見たことない。日本のコンテンツでもあんなに泣きまくるの見た覚えがない。物語上ヒーローの位置にいて男性で軍人で完璧なキャラという設定の人物があそこまで感情をバーストさせる様を描いていて、それを俳優がきっちりやり切っていることに衝撃を受けた。ステロタイプの男性像がそもそも違うのか、それともそれを前提としてあえて描いてるのか知識不足でわからないんだけど、後者だとしたら、韓国ドラマ、脚本家も俳優も韓国の視聴者もすごいなあ。(そして演技力もだけど物理的にあんなに涙を流して顔もぐしゃぐしゃにしている体で崩れていないし鼻水出ない俳優、すごい)

 

愛の不時着と同じくらい視聴率が高かったという情報を得て「トッケビ」も見てみたんだけど、こっちは900年生きてるトッケビ(鬼)と死神が同居しているとか、幽霊が見える女子高生とか、前世の因縁がみたいな一見突拍子もない設定いっぱいなのに役者の演技がちゃんとしてるからすべてが違和感なく収まってて、感動してめっちゃ泣いた。ぜんぜん日本のドラマと質が違う… 完成度…!

 

中高生の頃、周りにジャニーズ好きな子がいっぱいいたんだけどわたしはそのノリに乗れなくて、なんとなく大勢の女子が持て囃してるものはわたしが乗れないものだという思い込みがあった。韓国ドラマも無意識にそういう箱に入れてしまってたかもしれない。でもこれそういう「流行」云々のレベルじゃないわ。大人になってから海外ドラマの方が確実に演技が上手い人しか出てこないし、視聴者の反応によって脚本が変わったり打ち切られるからちゃんと面白いし、幅広く多様性のある客層を前提としているからステロタイプの妙な押し付けや思い込みがなくて見やすいので、そのすべてがそうじゃない日本のコンテンツはもう見る気を失ってたんだけど、同じアジアでも韓国のコンテンツは日本よりその辺りきっちりやってるんだなあ!リプレゼンテーションの問題ってやっぱり大きくて、自分の属性とかぶるアジア人顔でやってくれるなら、それはそれで響きやすいというか、近く感じるんだなとも思った。動画配信サービスでせっかくいろいろ見れるので、他にももっといろいろ見てみたいと思う。いい時代。

ステイホーム

ステイホーム生活も1ヶ月くらい経った。3月は結局週一くらいで出勤していたので、在宅勤務は始まって2ヶ月経つけど、完全に家に篭ってからはまだ1ヶ月。

家や自分の生活メンテナンスに関して嫌いなことはいくつかあるけど(いちばんは食器洗い)、洋服の整頓がその一つで、とくに服をたたんで仕舞うのが好きじゃない。なので持ってる服は出来る限り全てをハンガーにかけていて、毎日脱いだ服は洗濯カゴに入れるか、一回で洗濯しないものを入れるカゴに入れていき、週末まとめて洗濯とハンガーかけをしている。毎日こまめに出来ないために毎週末カゴに山盛りになった服の処理に追われてる感じだったけど、今は部屋着しか着てないから前より服が溜まらない。それが一番うれしいことのひとつ。

 

あとうれしいことは、普段よりのんびりした気持ちでお香を焚いたりお茶を葉っぱからいれたり出来てるのと、余裕をもって食材の下処理が出来ること、夫婦でおうちごはんが出来ること。食べもの関係は外食できなくなったけどその分自分でやることが増えて結果的に満足度が高い。キッチンであれこれすると本当に頭がすっきりする。

 

イタリアにいたとき、とくに夏のバカンスシーズンやクリスマスシーズンはほとんどのお店が閉まって外食の機会が減り、完全に似たような生活をしていたので、なんとなく懐かしさもある。

社会全体でずっと家にいていいという方向に傾いていると、わたしのように普段からずっと家にいたいと本気で思っている人にはすごく快適だ。食材はネットスーパーで頼んで玄関前に置いておいてもらえるし、ネットスーパーで買えないものはネットで注文してやっぱり玄関前に置いておいてもらえるし、仕事も行かない、外食もしない、友達とは基本的に文字だけでやりとりして、とにかく他人と顔を合わせなくていい。毎日夫の顔だけ見てればいいのは、夢みたいにラクだ。もちろんそれが続かないとわかってるし、続いてほしいとは思っていないけど。

 

ステイホーム生活に問題があるとすれば、1日にメリハリがないということと、運動不足が明白だということ。とくに運動不足が問題。なんか最近肩が痛い。動いてないからな気がする。動かないで済むのは天国なのに、自分の体がそれを受け付けないとは… とりあえず毎朝ストレッチと、フォームローラーをすることにした。

 

 

朝活の兆し

前々からよく思ってたんだけど、「三日坊主」っていう言葉は続かないものの例えのわりに三日も続いてて偉い。実際のところお寺の修行を三日も続けるのけっこうハードル高いと思う。三回目のnote、一日あいたので三日続いてない。わたしは三日坊主を尊敬しています。

 

高校生くらいまで、朝から毎日もう一日中ねむくてねむくて仕方なかった。生理前は毎回異常な眠気におそわれてそれがあまりにも激烈で明らかに普通のねむけと違うので、生理が来るのがわかるくらいだった。とにかくわたしはよく寝ている。休みの日に寝て過ごしても1ミリの罪悪感もない。寝るのが好きだから一番好きなことをして過ごせたらそれはいい休みだと思う。寝つきもいいし、ベッドリネンが大好きなのでせっせとベッドを整えるし、寝ることがすごく好きだし、寝るのが得意な方だと思う。しかも寝起きもいい。年齢と共にたくさん寝れなくなってきたのか、最近は寝て7時間くらい経つとぱちっと目が覚める。便利だ。定時で働いているので起きる時間が決まっていて、休みの日でも毎朝その決まった時間にぱちっと目があく。本当に確実に起きれるので目覚ましをつけてる意味があんまりない。早起きってこんなに簡単なことだったのか。

 

が、ここ二日くらいでそれがずれてきた。ここ何年も繰り返し繰り返し同じ時間に起きていたのに、休みに入って5日くらい経って、そろそろ起きてもなにもしないことに体が気づいてしまった感じがある。いつもの時間に目が覚めない。というか、これはつまり普段決まった時間に起きているのが年齢のせいじゃなくて習慣のせいだってことをあらわしてるのかもしれない。普段は週末の休みでも決まった時間に目が覚めるから、洗濯をしたり前の晩に残した食器を片付けたり、何かしらしている。でもここ数日は、毎日が休みなので急いで洗濯をする理由もなくて目が覚めてもポカンとふとんの中にいる。お腹がすいてくるとキッチンの方を見るんだけど、そこまで行くほどの強い理由が思いつかなくて、ふとんの中にいる。ふとん、気持ちいい。

 

それこそ起きて本でも読んだらいいのかも。休みだし読めるかなと思っていた積読は、まだ一冊しか終わっていない。少なくともせめて着替えたり、お茶をいれたり朝食をとったり、ヨガをするとか、何かするといいのかもしれない。明日の朝になって、気が向いたらやってみよう。

何もしない

ずっとやろうと思ってたペディキュア塗るのをした。手持ちのネイルでいちばん真っ赤なシャネルの207バルセロナレッド。足のつめは目線から遠いから、やっぱり派手な色が合うなあ。どうせ休みだし手のつめも派手派手しくしたっていいかもしれない。休みがあると思うとあれもしようこれもしようと思うけど、10日やそこらの休みなんてたかが知れててそんなに大したことは出来ない。でも少なくともつめは塗れた。まだ2週間はお休みなのでぼちぼち行こう。

 

最初に仕事を始めた国は休むためにみんな働いてるようなところだった。それぞれの国で幅広く使える会話の糸口ってあるけど、わたしが思うにフランスは絶対「最高のバカンスってどんなの?」とかとにかくバカンスについて聞けばいいと思う。そしたら相手はずっと喋ってくれる。数年前日本に帰国して日本の組織に入って初めて「休みが怖い」という人に出くわした。こういう人が本当に存在するのか…とカルチャーギャップを感じた瞬間だった。休みになっても何をしていいかわからないと言われたのだけど、vacanceとかvacation(空っぽという意味のvacantと明らかに語源が一緒だ)と呼ぶ言語もあるくらいで、休みというのは何もしなくたっていい。

 

児童小説の「クマのプーさん」の二冊目「プー横丁に立った家」の最後に主人公のクリストファーロビンが「僕がいちばん好きなことは、何もしないことをすること(doing nothing)だけど、もう何もしないことを出来なくなる」と言う場面がある。子ども時代の象徴だったプーにお別れを言うシーンだ。このお別れシーンはわたし内お別れベスト3に入るんだけど、大人になると何もしないのを出来なくなるならそれは悲しい。最近の研究で「何もしていないように見える時間も脳は活発に活動している」というのがわかっていると前に読んだ。何もしないように見える時間帯に脳は情報をプロセスしているらしい。何もしないのも、休みも、子どもだろうが大人だろうが、生きるのに不可欠だ。

 

と言いつつ、時間があるからやりたいことはある。味噌がなくなってしまったので作りたいのと、クッキーかスコーンか何日間か楽しめる焼菓子を焼きたい。肉まんも作りたいし、あとは友人に頼まれている原稿を書かないといけない。それと「愛の不時着」のビンジ。何かゆっくり取り組めるゲームをしたいなと思って、人気のどうぶつの森をやりたいとも思ってたんだけど、数年前オンラインゲームで一度身を滅ぼしかけたのでゴールが明確でないゲームはやはり手をつけないようにしようと考え直した。やるのは終わりがあるものだけ。そういえば友人のオンライン講義を聞いていたら、目標が明確にないゲームではプレイヤーは自分で目標を決めていると言っていた。目標を決めるのが苦手だからわたしはゲームの中に沈んでしまうのだろうか。

その点、休みは終わりがあるからいい。

家にいる

長いお休みが取れるときには毎回どこかへ行くことが多かったけれど、今回のGWは17連休の休みを取りながら予定は空っぽで完全に自由だ。予定を立てようかという頃に新型肺炎の流行が話題になり2月末から在宅勤務が始まったので飛行機をおさえることすらしなかった。

 

わたしは子ども時代に7回くらい引っ越して、家を出てからは8回くらい引っ越した。そのうち3回は国を越えて引っ越しているし、休みのたびにカジュアルに旅行する家だった。旅をすることは時々服を買うっていうのと同じくらい当たり前の感じがする。子どもの頃は週末になるたびリュックを背負って東京駅から横須賀線に乗って、湘南へ向かった。電車を降りると車が迎えに来ていて、チャイルドシートに乗りシートベルトをするとスピード狂の祖母が”Hold on tight!”と叫んでとんでもない速さで車がビュンビュン走り出す。わたしはとにかく家に着くまでがっちり両手で前と横の取手につかまって、口をしっかり閉じていた。祖母の家に着いて車を降りると、いい空気を吸いなさい!と言われるので、よくわからないまま海と山の空気を吸った。

 

旅をすることに慣らされているだけで、わたしは熱狂的な旅好きではない気がする。「休みの間どこにも行かないなんて、大丈夫ですか?」と職場で心配されたのは休みのたびにわたしが旅行していて旅行好きだと思われているからだと思うけど、ずっと家にいられるお休みなんてむしろ本当は夢みたいだ。いつもなんとなく成り行きや習慣や目的があるから旅に出てしまうだけで、家にずっといろと言われたらずっといられる。どこかに行かないともったいないという気持ちを一切持たずに家にいられるなんて最高だ。おふとんにくるまって本を読んでいられたら、それ以上のしあわせはない。だからこの17連休も、どこにも行けなくてもそんな毎日でいい。